英語の音声を学ぶ時に、イントネーション、アクセント、そしてリズムなどといったことばを聞いたことがあると思います。英語教育関係者もこういった用語を頻繁に使うのですが、実際の英語の音声指導では、イントネーションやアクセント、リズムなどの指導は概して後回しにされることが多いといえます。そもそも母音や子音といった個々の音ではなく、イントネーションなどの指導は英語教育関係者にとってさらに難しいものです。
かつて英語の発音指導で、母音や子音を指導する場合には発音記号を導入して行なっていました。ところが、文部科学省の方針により、別に中高の英語教育現場で発音記号の導入は必須ではないということになりました。実際現在の中学校、高校での英語教育では、ほとんど発音記号は導入されていないと思います。そうすると、発音指導で発音記号という基準となる発音のメタ情報になる教育ツールがなくなるので、発音指導がやりにくくなります。これに加えてイントネーションを説明するような記号も導入されないため、母音・子音以上にイントネーションの系統的指導は困難になります。
ところで、イントネーションについては、英語教育の関係者間でもその定義が明確でないという問題があります。確かに、発音指導でイントネーションがよくない、イントネーションを工夫しましょうなどと言われることはあるのですが、根本的な問題としてイントネーションとは何か、そしてイントネーションが何によって決まってくるのか、あるいは逆に何がイントネーションの形を決めるのかなどということが明確にされていない問題があるのです。たとえば日本語教育の分野において、「文末イントネーション」という用語が学会発表などで使われる場面に何度か遭遇したことがあります。これはもちろん,文末でのピッチのふるまいがさまざまなニュアンスを示すという文脈で述べられているのですが、このような場面ではもっぱらピッチの動態と話者の感情や発話の意図といった要因との関連に焦点が当てられています。
簡単にいえば、イントネーションは一息で発話される文、あるいはフレーズ全体を覆うピッチ(声の高さ)の型です。たしかに英語圏で出版された英語イントネーションの専門書を参照すると、大量の表記例とともにピッチの動きがどのようなニュアンスを表すのかが多岐にわたり解説されていることがわかります。ただ、これら解説は話者の感情や心理的態度によってピッチがどう動くのかという内容であることがほとんどです。
人間の感情や心理的態度というものは非常に多様です。このため、当然ですがこの種の専門書の解説はあまりに多岐にわたりすぎ、読者は情報の多さに圧倒されてしまうくらいです。ただし、こういった情報量に惑わされてはいけません。実はイントネーションは基本的にはまず文法構造によって決まってくるものです。また、文字がなく音声だけの情報伝達を考えるとわかりやすいのですが、逆にイントネーションによって文法構造が聞き手に正しく伝わるという側面もあります。これはあまりに当然のことであるため研究者たちの著作にもあまり詳しく触れられていないきらいがあります。
たとえば音声だけの情報であれば、コンマやピリオドの存在がないため、以下のような文が音声だけで表現された場合については、イントネーションとポーズによりどのようなフレージングが行われるかによってのみ解釈が可能となります。
WE MUST WALK CAREFULLY DOWNSTAIRS IT IS DARK
この文が、We must walk carefully. Downstairs, it is dark.の意味であるのか、あるいはWe must walk carefully downstairs. It is dark.の意味であるのかは,文の切れ目がどこにあるのかで決まってきます。その切れ目というものは,文頭からcarefullyまでで最初のイントネーションの単位を切り、Downstairsから新たなイントネーションの単位を始めるか、それとも文頭からdownstairsまでを1つのイントネーションでカバーして、Itから新たなイントネーションの単位を開始するかによって変わってきます。当然ながらWe must walk carefully. Downstairs, it is dark.の意図で発話する場合には、carefullyおよびDownstairsについてはそれぞれ目立ったピッチの動きがあり、さらにそれらの語の発話時間も長くなり、carefullyの後ではポーズもおかれるはずです。We must walk carefully downstairs. It is dark.の意図の発話であれば、downstairsで顕著なピッチ下降があり発話時間も長くなるし、carefullyではなくdownstairsの後にポーズがおかれるでしょう。これでわかるように、まずは文法構造をしっかり示すための基本的なイントネーションの形が確定しないことには、根本的な意思疎通ができなくなるのです。もちろん総合して考えると、イントネーションはさらに情報構造、発話の意図、話者の感情などによっても影響を受けます。ただ、意図する文法構造が定まらない限りイントネーションの形が定まらないのは事実で、この意味でイントネーションを作り出す最も重要な要因は文法構造であるといえるでしょう。