オーストリアのグリーンツーリズム調査 (1) –英語「で」仕事をする
私の研究者としての活動は、主に英語および英語教育に関する研究が中心でした。しかし、実は「英語を使って」実社会の事象を調査したり、海外の方々とやり取りをしながら、英語教育とは直接関係のないプロジェクトを進めた経験もあります。かなり以前のことになりますが、一時期、オーストリアのグリーンツーリズムについて調査・研究をしていた時期がありました。後ほど詳しく触れますが、オーストリアのグリーンツーリズムの現状を学ぶため、勤務先の大学生とともに現地の調査・視察プロジェクトを2度実施しています。このグリーンツーリズムは、酪農や農業と観光を結びつけた地域振興プロジェクトであり、現地ヨーロッパでは「rural tourism」とも呼ばれています。ただし、ここでは日本で一般的に使われる「グリーンツーリズム」という用語を使用することにします。
グリーンツーリズム研究のきっかけ
1990年頃から、在日本オーストリア政府観光局とのご縁があり、同局からオーストリアの情報誌『Servus』を定期的に送っていただいていました。その情報誌の中で、オーストリアの西端に位置するフォアアールベルク州で、グリーンツーリズムのベストプラクティスとして非常に高く評価されているプロジェクトが進行中であるという記事を見つけました。当時、日本でも地域振興、特にグリーンツーリズムに関連する政策が注目され始めた時期でした。その記事に強い関心を抱き、オーストリア政府観光局の方にご紹介いただき、プロジェクトのキーパーソンに取材を申し込んだことが、この研究を始めるきっかけとなりました。おそらく、流通科学大学に着任した翌年、1994年の夏のことだったと記憶しています。訪問した地域は「ブレゲンツの森」(Bregenzerwald)という美しい地域です。その後も数回、フォアアールベルク州のブレゲンツの森を訪問する機会がありましたが、当時の経験を振り返りながら、何回かに分けてヨーロッパでも特に成功しているこの地域のプロジェクトについて書いておきたいと思います。
ブレゲンツの森の地理的位置と地域の概略
ブレゲンツの森は、オーストリア最西端にあるフォアアールベルク州北西部の山岳・丘陵地帯です。この地域は、アールベルク山一帯やモンタフォン地域と同様に、景観の美しさとウインタースポーツ施設の充実などにより、以前からヨーロッパ有数の観光地として知られています。ヨーロッパの高学歴で文化志向の人たちが滞在型の観光を楽しむ際には、ハワイなどの画一化された薄利多売型のリゾートを敬遠し、ブレゲンツの森のようなローカル色の強い、ひなびた農村地域を選ぶことが多いです。日本と違い、高速道路が原則無料であるため、ヨーロッパの人々は自動車をコストの低い交通手段として選択することが多く、このため、鉄道路線が通じていない奥深い農山村地帯への旅行にもそれほど抵抗がありません。こうしたヨーロッパの人々にとって、自然の美しさを満喫し、ユニークな地域文化に触れ、ハイキングなどの健康的な軽スポーツで体を動かし、地元でしか味わえない郷土料理を楽しむことは、ごく自然なバカンスの過ごし方だと言えるでしょう。
ブレゲンツの森は、フォアアールベルク州の州都であるブレゲンツから東南に広がる丘陵および山岳地帯で、実は日本人がイメージするような平坦な「森」ではありません。ちなみに、州都ブレゲンツは、ボーデン湖に接し、ドイツおよびスイスとの国境に近いこと、そして湖上に浮かぶ屋外ステージで夏に行われる世界的に評価の高いブレゲンツ音楽祭の存在により、ヨーロッパ諸国をはじめ世界中からオペラやクラシック音楽ファンを中心とした文化志向の強い観光客が集まることで有名です。また、リヒテンシュタインやスイス方面への鉄道の分岐点となるフェルトキルヒ、そしてブレゲンツの森地域の一つであるシュヴァルツェンベルク村で毎年8月から9月にかけて開催されるシューベルト音楽祭、いわゆる「シューベルティアーデ」も、この地域に一層の文化的な魅力を付加しています。現在も室内楽やソロコンサートが中心となったシューベルティアーデは続いており、ピアニストのクリスティアン・ツァハリアスや歌手のアンネ・ソフィー・フォン・オッター、クラリネット奏者のザビーネ・マイヤーなど、著名なアーティストが参加しています。現在のプログラムでは見かけませんが、私が頻繁に訪問していた頃には、往年の名バリトン歌手であるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが開催する声楽のマスタークラスも、目玉の一つでした。
ブレゲンツの森地域の農業とその課題
もちろん、ブレゲンツの森地域は農業地域でもあります。そのため、地域の所得水準は必ずしも高いとは言えません。このような背景から、日本の農村同様に、若者が都市部に移住し、農村を離れる傾向が強いと言えます。しかし、このまま若年層の人口が減少し続け、地域の農業人口全体が減少すれば、観光を主要な収入源としているこの地域の環境保全に大きな問題が生じることになります。この地域を観光地として魅力的にしているのは、何よりも美しいアルプスの景観、つまり放牧された牛や牧草地、伝統的な農家や畜舎などです。これらの最も重要な観光資源は、健全な農業の営みがあってこそ存在するものです。農業人口の減少と農業の衰退は、観光資源の喪失を意味するのです。最初に現地を訪問した際、すでにこの地域では観光客の宿泊合計日数が6年間で約30万日減少していたというデータがありました。また、純粋な農業以外の業種においても、小規模業者が圧倒的に多く、1事業所あたりの平均従業員数は約2人でした。加えて、当時のオーストリアはEU加盟を控えており、EU加盟後はヨーロッパ各国からさまざまな農産物が流入するリスクがありました。このため、農産物の品質の画一化や規模の経済、価格競争に対抗するための具体的な対策が求められていました。
チーズ街道プロジェクトの立ち上げ
こうした問題を解決すべく、1991年に農業従事者やレストラン・ホテル経営者、観光業者、精肉・加工業者、地域の行政機関、酪農業者、小売業者などが中心となり、農業と観光の共生を目指した総合的なアグリ・マーケティング、日本語で言うところの「グリーンツーリズム」のプロジェクトが立ち上げられました。そして、1992年2月にはネットワーク化された協同事業のためのプラニングが行われ、この事業は後に「チーズ街道プロジェクト」として具体化されていきます。このプロジェクトの目的は、以下の通りです。
・チーズ生産に依存するブレゲンツの森地域全体での関連産業の高収益化を図ること
・観光業および農業の関連領域を巻き込み、チーズ生産を中心にネットワーク化された持続可能な産業構造を構築すること
・酪農業と観光資源を結びつけ、組織化すること
・ブレゲンツの森の保全を中心に据えた、自然、文化、人的資源の保護を推進すること
1994年には農業・観光業の関係者約100団体が参加するフォアアールベルク・チーズサミットが開催され、その後、EUの地域開発助成プログラム「LEADERⅡ」への申請が行われました。1996年にはパイロットプロジェクトが実施され、チーズ農家の構造転換や新たな種類のチーズの開発、準備組織の立ち上げが行われました。そして1997年に「チーズ街道プロジェクト」が正式に始動し、ワークグループが立ち上げられました。その後、1998年5月21日には「チーズ街道」の正式なオープニングが行われました。
プロジェクトの進展とその後
その後、何度か現地を訪問し、「チーズ街道プロジェクト」の根底にある理念や実際の進捗状況について取材を続けました。今後も取材内容や現地でいただいた資料、インターネット上で公開された情報をもとに、さらにこのプロジェクトの詳細を執筆していきたいと考えています。